長谷整形外科クリニック
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記事一覧

読書日誌その16

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National Geographic [US] July 2010
出版社:National Geographic

Complete National Geographic- Every Issue Since 1888
出版社:National Geographic

 欧米の雑誌と日本の雑誌の一番の違いは表紙にあると思う。欧米の雑誌はNatureやCellのようなお固い科学雑誌からRolling Stoneのようなお手軽芸能雑誌まで、表紙が考え抜かれていて、一目で眼を引くような刺激性を持ちながら、写真そのものの芸術性を損なっていない。
 例えば今月号のNational Geographicは400万年前の人類の祖先とされるアルディピテクスの頭骨がどーんと表紙に採用されていて、かなりeye-catchingである。さらによく見ると、それを捧げ持つのは褐色の両手。エチオピアで出土した化石であるから、それを持つ手があるとしたら、その手は褐色でなければならない。そして頭骨は実は石膏のレプリカであり、石膏の白と手の褐色のコントラストが冴える。最後に背景を真っ黒にして両者のみを浮かび上がらせる。計算し尽くされた表紙である。
 一方、日本の雑誌はどうしても文字がごちゃごちゃと入ってきて、あまりスッキリとしないのが多い。どちらを良しとするかは国民性にもよるのだろうが。
 ところでNational Geographicはなかなかお得な雑誌である。通年で6375円とお手頃価格だが、この雑誌でなければ見れないような写真満載で、文章の英語も流麗で飽きさせない。さらに昨年に出たComplete National Geographic- Every Issue Since 1888は今までのNational Geographic全号を閲覧できるのに、わずか$45である。
 アメリカという国家は全体として決して褒められたシステムだとは思えないが、こういう文化が豊かであることは、悔しいながら否定できない。


  • 2010年07月21日(水)00時19分

読書日誌その15

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西遊妖猿伝 西域篇(2)
著者:諸星 大二郎
出版社:講談社 (2010/6/23)

 孫悟空や猪八戒が活躍する、いわゆる西遊記をテーマに物語を作ろうとした作家は古来数えきれないが、ストーリーの独創性と作品としての完成度において諸星大二郎の右に出るものはないと思う。比肩しうるものがあるとすれば中島淳の「悟浄歎異」「悟浄出世」であろうか。中島が自分の「ファウスト」とも意気込んだ主題で、夭逝により2編のみになったのが惜しまれるところである。
 西遊妖猿伝も、大唐編の末尾で予告されていた続編がいつまで経っても掲載されず、正直のところ読む方としても忘れかけていたところに一昨年から西域編が始まった。たまたま手に取った雑誌モーニングにあの独特の絵柄を見つけた時は思わず「おおっ」と声を出してしまった。初回の連載から25年以上も経っているが、玄奘一行の旅程は遅々として進まず、天竺の影さえ見えてこない。読者の誰もが思っているだろうが、諸星は「夭逝」せずに妖猿伝の大団円を描ききってほしいと切に望む。
 ところで小欄で初めて漫画を取り上げたのであるが、これを読書日誌というと、自分の子供たちの「父さんずるい」という声が聞こえてくる気がする。しかし、いくつかの文学作品を読んでおくべきであるというのと同じ必要性をもって、ぜひ読んでおくべき漫画というのも確かにあると信じる。西遊妖猿伝は数少ないそういう漫画の一つである。


  • 2010年07月13日(火)22時37分

文献所感 その4

Scaling of sensorimotor control in terrestrial mammals.
More HL et al.
Proc Biol Sci. 2010 Jun 30. [Epub ahead of print]

英語の論文を読むというと、どうしても自分の専門の医学系、特に脊椎外科の論文に偏ってしまう。専門分野の論文はその分野の知識があるから早く読めるのだが、時に少し離れた分野の論文を読んでみると、途端に読む速度が落ちて、自分の英語力の化けの皮が剥がされたような気になる。
本論文は私の専門からは遠からず近からず、といった分野になろうか。哺乳類で末梢神経の伝導速度(これは整形外科の臨床でもよく使う)を測ってみたら、動物の大きさに関わらずほぼ一定であった、したがって大きな動物は早く動けないのであるという、なんだか「総身に知恵がまわりかね」みたいな内容である。しかし一番最後で控えめに述べている一節が気に入った。「大きな恐竜もあまり素早く動けなかったであろう」。
恐竜はもちろん哺乳類ではないから推論には飛躍がある訳だが、2002年のNatureに載ったTyrannosaurus was not a fast runner."の著者Hutchinsonが本論文の共著者になっていることもあり、控えめにでも言及したいという気持ちが伝わってきて楽しい。映画の「ジュラシックパーク」のティラノサウルスはすごいスピードで動いていたが、あれは嘘だったのか。最近では「クローバーフィールド」に出てきたモンスターもここ一番では素早い動きを見せていたが、理論的には本当の移動速度はゾウなみになるようだ。
前にも書いたが、こういう論文は実用的には「何の役にも立たない」研究なのであるが、しかしそうであるが故に純粋に面白いと思う。


  • 2010年07月06日(火)23時19分

読書日誌その14

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大阪ことば学 (岩波現代文庫)
著者:尾上 圭介
出版社:岩波書店 (2010/6/17)

 私は生まれも育ちも河内であり、大阪弁についてはnative speakerと言ってよいと思う。幼い頃から意識せずに使ってきた言葉ゆえに、かえって大阪弁については、「なぜそんな言い方をするのか」ということをあまり考えたことがなかった。例えば「ねん」というのはケッタイな助詞であるなあぐらいには思っていたが、それが「のや」から音が変わって産まれてきたとか、「ねん」を文末につけるとつけないで微妙にニュアンスが違ってくるということはまともに考えたこともなかった。
 本書は本格的な文法書ではないとされているが、本職の国語学者の筆により大阪弁の基本文法が平易にまとめてあって、私のような門外漢には手軽に読めるのが有り難い。さらには文法の細部よりも、コミュケーションにおける大阪人の暗黙の了解、あるいは美意識が大阪弁にとってより重要であるというのは、著者の卓見であると思う。動物園の檻にかけて危険性を告知する看板には、凡百の文句を並べるよりも、「かみます」と一言で表記するのが確かに大阪人の美意識である。
 本書ではあまり取り上げられていないが、もう一つ大阪弁について思うのは、やはりその大部分が急速に失われつつあるという点である。「あんじょう」「せんど」「てんご」「はすかい」「どんならん」。いずれも私が子供時代には日常的に耳に入っていた言葉たちであるが、最近は絶えて聞いたことがない。ましてや自分で使うこともあり得ない言葉になってしまった。
 マスメディアの普及によって方言の豊かさが損なわれているというのはよく聞く指摘である。しかし自分のmother tongueでも同様のことが起こっていると気づくと、何だか自分の身体の一部が失われつつあるような気がするのは私だけであろうか。


  • 2010年06月22日(火)23時24分

読書日誌その13

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50 Great Myths of Popular Psychology: Shattering Widespread Misconceptions about Human Behavior
著者:Scott O. Lilienfeld, Steven Jay Lynn, John Ruscio, Barry L. Beyerstein
出版社::Wiley-Blackwell (2009/10/5)

 先日車を運転している時に、カーオーディオから流れるテレビの音声を聴いていると、加齢と健康についてのバラエティー番組のようで、「年を取るとホルモン分泌が減る」「それによって臓器がしぼむ」「内蔵がしぼむから皮膚にしわが寄る」とどこかの大学の教授とか言う人が説明をしていた。出演者たちがいちいち「ほほー」と感心の声を上げるのだが、聴いていてどうにも言いようのない危機感を禁じ得なかった。
 多くのホルモンは確かに加齢とともにその分泌を減ずるが、さほど加齢による影響を受けないものもあるし、逆に年とともに増えるホルモンもある。また、高齢になると萎縮する臓器もあるが、肥大する臓器の方がむしろ多い。そして皮膚にしわが寄るのはホルモンの他にコラーゲンなど皮膚構成タンパクの減少や乾燥のせいでもある。
 昨今のマスメディアでは、健康情報から政治経済に至るまで「分かりやすい」「歯切れよい」ということが偏重されるあまり、情報の本質が歪曲されてしまっていることが多すぎる。情報の細部を削り落としてごく単純なメッセージにするメディアは、受け取り側をmisleadしていることを自覚しないと、その先で怪しげな商品でも売りつけようとしているのではないかと勘ぐられてもやむを得まい。
 かように単純化されてはいるが、真贋の程は明らかでない多くのメッセージを選り分ける方法を本書は明示している。例えば「手書きの文字は人格を表す」といった、実は嘘なのだが、あたかも真実のように人口に膾炙している数々の神話(psychomythology)が次々と確かな科学的文献により論破されていく様は爽快である。心理学分野の本であるが、その議論の基本的態度として挙げている10の項目は、いかなる情報を吟味するのにも忘れてはならないものばかりである。
 例えば"Correlation doesn't mean causation."は医学の病因論でも重々注意せよと教え込まれるところである。昨今「何々をすると何とかガンが増える」という情報もまたあふれかえっているが、真の原因論にまで至っている情報はホンの一握りであることを忘れてはならないと思う。


  • 2010年06月15日(火)14時14分

読書日誌その12

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文楽の研究 (岩波文庫)
著者:三宅 周太郎
出版社:岩波書店

続・文楽の研究 (岩波文庫)
著者:三宅 周太郎
出版社:岩波書店

久しぶりに文楽を見に行った。今回は文楽鑑賞教室という解説も交えた公演で、演し物は「ひらかな盛衰記」の松右衛門内の段ならびに逆櫓の段であった。子供にも時々はこういうものを見せておこうと連れて行ったが、延々と太夫の語りが続いているところで横を見ると、次男はうとうと居眠りをしていた。小学生にはまだ少し早かったかも知れない。
文楽を見ていつも問題に思うのは、それがすでに我々日本人の日常からあまりにも乖離しているということである。本来は庶民の手軽な娯楽であったはずなのに、次男の居眠りがいみじくも指摘するごとく、難解で時に解説を要する芸術に祭り上げられてしまった。
これは文楽の責めにあらず、享受する我々の問題であると考える。明治維新以来150年弱を経て、日本独自の文化を受け継ぐものとしてのアイデンティティを我々は失ってしまった。床本や字幕で時々確認しないと太夫の語りについていけない私は次男を笑うことはできない。
当日の劇場には欧米からの旅行者と思われる一団もいた。確たる日本文化として、文楽は彼らに誇るべきものの一つであろう。しかしかかる伝統芸能を味わう能力を失いつつある私は、彼らに対して些かの忸怩たる思いを禁じ得ないのである。


  • 2010年06月08日(火)13時20分

読書日誌その11

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頭の中身が漏れ出る日々
著者:北大路 公子
出版社:毎日新聞社 (2010/3/17)

生きていてもいいかしら日記
著者:北大路 公子
出版社: 毎日新聞社 (2008/1/26)

そもそも小欄は、今年始めに一念発起して毎週1本ぐらい文章を書くことにしたのであるが、日記と同じく維持するのは難しい。手始めに読んだ本の感想文で始めようとしたのだが、それでもふと気がつくとすぐに1週間経って、その間ろくに本を読んでいない、したがって書くことがないのに気がつく。
さて最近はサンデー毎日連載の北大路公子のエッセー集を読んだ。毎日新聞の書評で好評だったが、出版元が毎日新聞社なので、書評も割り引いて受け取らねばならぬと思っていたところ、看板通りに面白い。
決していわゆる美文ではなく、平常のかたり言葉で書かれた体裁を装っているが、その実まことに技巧的な文章である。北杜夫のユーモア小説に通じるリズム感があると思う。
さらにエッセーの1本1本に構成の妙が光る。内輪ネタ・自虐ネタが多いという謗りもあるが、「頭の中が漏れ出る日々」に収録の「果てしない迂遠」の構成はうまいなあと手放しで感心してしまった。
エッセーを書くというとつい題材に気の利いたものを探してしまうが、題材はあり合わせでも並べ方次第でピリッとした料理になるということを勉強させてもらった。


  • 2010年05月18日(火)22時28分

文献所感その3

Trends, major medical complications, and charges associated with surgery for lumbar spinal stenosis in older adults.
Deyo RA et al.
JAMA. 2010 Apr 7;303(13):1259-65.


 最近のJAMAに載った論文では、高齢者の変性疾患に対する腰椎手術は、この10年間にその全体数がやや減少したのに対して、内固定金属を多く使った複雑な固定手術の割合が著しく増加しているようである。当然のことながら、そのような手術が増えると合併症が起こる割合が増えてくるとも報告されている。
 論文の中でも指摘されているが、複雑な内固定が増える要因は患者側ではなく医療側にある。その中でも複雑な手術ほど執刀医の収入が増えるからではないか、というのは鋭い指摘であろう。
 我が国では原則として、術式の選択が執刀医個人の収入に直接反映される訳ではない(そう信じたい)。しかし学会発表などでは最新の内固定金属をふんだんに使った症例が散見され、ちょっとやりすぎではないかと眉をひそめることもある。内固定金属の固定力や矯正力は強力であり、それなしには行えない手術も確かにあるが、「本当にスクリューを入れなければこの腰を手術することはできないか」と立ち止まって考える態度が執刀医には必要になってくるだろう。
 さらにこの論文の内容からは離れるが、手術数が多ければよいという現在の医療界の傾向にも警鐘を鳴らしたいと思う。執刀手術数が多いということは、確かに手術そのものの経験数が多いということであるが、あまりに多いというのは手術前や手術後のケアが手薄になるということを意味するのではないか。また、手術を決定する際に最も重要なのは、主治医と患者が、現在の病状に対して相談を尽くして、手術の他に治療法がないと双方が決心する過程であろう。この過程に真摯に向き合うと、1例1例に時間をかけることになり、すると手術数はさほど増えないことになるはずである。
 おりしも今年度の診療報酬では脊椎の手術点数にかなり加点がなされた。脊椎手術の執刀医の労力が評価されたという点で医療側としては喜ばしいのだが、これによって手術適応がひろがるということはあってはならないと思う。


  • 2010年05月04日(火)17時00分

読書日誌その10

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初等幾何学 (基礎数学選書 7)
著者:清宮 俊雄
出版社:裳華房 (1972/5/30)

 初等幾何の面白さを中学生の時に教えてもらって以来、一時は暇さえあればコンパスと定規を取り出して、問題を解いたり自分で問題を作ったりしていた。さすがに大学を卒業してからはそういう機会もなくなったが、今でも書店で幾何の本を見るとつい手に取ってしまう。
 清宮俊雄の名は科学振興社モノグラフシリーズの「幾何学」で知った。本書はもう少し進んだ内容で、厳密な定義から出発して抽象的な概念を扱っている。
 現代数学では、こういう初等幾何はあまり取り扱うに足らないとされるようだ。一方で高校や大学の入学試験問題とするには趣味的すぎて採用されないだろう。そしてまた即物的な現実生活の役に立つとも思えない。
 つまりこれはあまり役に立たない「学問」である。しかし学問は役に立たないものほど面白いように最近私は考えている。これは「面白い」という言葉の定義にもよるのだが、学問の結果を「何の役に立つのか」と言い出した途端に学問の面白さは損なわれ始める気がするのだ。もっとも最近の事業仕分けとやらの席では通用しない言い分かも知れないが。


  • 2010年04月20日(火)14時49分

読書日誌その9

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複眼の映像―私と黒澤明
著者:橋本 忍
出版社:文藝春秋 (2010/03)

 こういう面白い本を、単行本の時に気づかずにいて文庫本になった時に店頭で見つけるのは、なんだか自分の目配りが足りなかったような気分になるのだが、あの橋本忍の自伝となれば手に取らずにはいられない。さすがに手練の脚本家であって、文章は流麗で読むものを飽きさせるところがない。
 黒澤映画の最高峰は、月並みではあるがやはり「七人の侍」であろう。そして「七人の侍」の最も採るべきところは脚本である。黒澤映画のほとんどは共同脚本からなるのは知っていたが、脚本家たちと黒澤明が平等に案を出し合う合議制だったと勝手に思い込んでいた。しかし本書を読んで「羅生門」「生きる」「七人の侍」は橋本忍による先行脚本があって、それに黒澤明が改作を加え、最後に小國英雄がチェックだけを行うという形になっていたのを初めて知った。
 特に印象深かったのは橋本と黒澤が苦吟している間、小國が彼らに背を向けて、脚本に関係のない分厚い英語の本を黙って読んでいるシーンである。これほどの脚本家が揃えば、それぞれ平等に分担して書く方が良さそうに思えるが、そのような手法をとった「生きものの記録」以後の作品が決してそれ以前のものを超えることがなかったという事実は示唆に富んでいる。
 数人でも人が集まって仕事をするとき、平等に分担することが必ずしも最善の結果を生むとは限らない。特にオリジナルなものを作ろうとする時、製作者の間には良い意味での不平等が必要である気がする。


  • 2010年04月06日(火)22時54分
 
 
 
 
 
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